捜査一課の忘年会
年末。積み上がった書類の山と、点滅する蛍光灯の下で。
一課の面々にも、年に一度だけ訪れる“息抜き”があった。
本編
店の引き戸を開けると、出汁の匂いと揚げ物の音が迎えてくれた。
年末の金曜夜で混み合う大宮駅近くの居酒屋「千石」。予約していた奥の座敷席には、すでに捜査一課のメンバーが集まりつつあった。
「お、九重。ギリギリだな」
先に着いていた佐野が、ジョッキを片手に笑う。
「道が混んでいただけです」
聡美は淡々と答え、奥の席に座った。
「九重さん! 黒烏龍茶でいいですかね? いや、ウーロンハイ……は飲みませんよね」
真壁が慌てつつ注文票と格闘している。
「烏龍茶で」
「了解です!」
その横で、白鳥未来が唐揚げのメニューを眺めていた。
「あー、この店の唐揚げ、前に来た時めっちゃおいしかったんだよね。聡美も食べなよ」
「……あなたの“おいしい”は信用しているけど、揚げ物は量を考える必要があるの」
「はい出た、鉄仮面モード」
未来は笑いながら、ちゃっかり追加注文を入れた。
そこへ班長の宮内が手を叩く。
「よし、全員いるな。じゃ、年末の恒例行事だ。仕事は忘れて、今日は飲めるやつは飲め。飲めないやつは……食え!」
「班長、雑です」
「いいんだよ年末なんだから!」
座敷席に笑いが広がる。
乾杯が済むと、テーブルは一気に賑やかになった。
焼き鳥、鍋、ポテトにサラダ。普段は無表情な佐野も、ビールを片手に楽しそうに喋っている。
「しかしよ、今年も色々あったな……」
佐野が唐揚げをつまみながら言う。
「“色々”の中に、俺の徹夜案件がいくつ含まれてるんだろ……」
真壁が遠い目をする。
「ま、いいじゃない。真壁くん成長したじゃん。資料まとめるの早くなったし」
未来が背中を軽く叩く。
「あれは……九重さんのチェックが厳しいだけです……」
と言いつつ、真壁の表情はどこか誇らしげだった。
一方で聡美は、鍋の具材を静かに箸で掬いながら、周囲の賑やかさを眺めていた。
忙しない一年。それでも、こうして皆の顔がそろうと、不思議な安心感があった。
「九重」
宮内が隣に座り、湯気越しに話しかけてくる。
「今年も色々助かった。お前の“勘”には本当に救われたよ」
「勘ではありません」
「はいはい、事実に基づく判断、だろ?」
宮内は笑うと、湯飲みを軽く掲げた。
「来年も頼むぞ」
「……ええ」
その会話を聞きつけた未来が、横から顔を出す。
「ねぇ九重。来年こそはさ、もうちょっと私に甘えて? なんでも一人で抱え込まないでさ」
「甘える?」
「そ。仕事でもプライベートでも」
未来がにやりと笑うと、聡美は困ったように視線をそらした。
その様子を見ていた真壁が、小声で佐野に囁く。
「……なんか、九重さんって、こういう時だけ普通の人みたいですね」
「こういう時“だけ”な」
佐野の返しに、二人で小さく吹き出した。
夜も更け、店を出る頃には、冷たい風が街路樹を揺らしていた。
一課の面々はコートの襟を立てながら駅へ向かう。
「来年もよろしくね、聡美」
「ええ。……あなたも、無茶はしないように」
「それ、九重に言われたくないんだけど?」
未来が笑い、聡美もほんの少しだけ口角を上げた。
大宮の夜空に、白い吐息がすっと溶けていく。
それぞれの帰り道へ歩き出しながら――
九重は心の中で、静かにひとつだけ願いを浮かべた。
「来年は……少しだけ穏やかでありますように」
だが、その願いが叶わない予感も、どこかで感じていた。