第2話 白と黒の境界線
暴行事件の目撃者として名乗り出たのは、信頼性が低いとされるホームレスの老人だった。
九重は彼だけが語った“押された”という証言を手がかりに、被害者が隠していた真相と犯人へと辿り着く。
本編
午後一番、捜査一課の会議室。九重が老人の証言を報告すると、室内に重い沈黙が落ちた。
「右足を引きずる細身の男……偶然かもしれない」
「そもそも、ホームレスの証言じゃ証拠能力が弱すぎるだろ」
「雨の日は視界も悪いし、錯覚だ」
相棒の佐野だけが腕を組んでいた。
「ただ、三崎周平の右足の件は気になるな。九重、どう見る?」
「彼は被害者の大石と揉めていた。社内のパワハラ問題でね。退職に追い込まれたのも事実」
部長がため息をつく。
「動機が薄い。暴行にまで及ぶか?」
聡美は即座に答えた。
「薄いのは動機じゃなく、“証拠”よ。だから探すの」
部長は眉をひそめたが、最終的に渋々と首を縦に振った。
「……自由に動け。ただし、証言者を過信するな」
しかしその直後、別の刑事がぼそりと呟いた。
「どうせアル中の戯言だよ」
その一言で、聡美の足が止まる。
「証言者の生活状況で判断するのは、捜査じゃないわ」
一瞬、空気が凍った。
聡美は淡々と続ける。
「嘘をつく理由がない人間ほど、真実に近い。私はそう思うだけ」
場を後にし、聡美と佐野は三崎周平の自宅へ向かった。
古いアパートの階段を上がり、インターホンを押す。
──応答なし。
隣室の住人が不安げに顔を出した。
「三崎さんなら、昨日の夜遅くに出ていきましたよ。足を引きずってて……なんだか慌ててた」
佐野が小声で言う。
「これ、だいぶ怪しくねえか?」
部屋を軽く調べると、ゴミ袋に血のついたタオルがあった。
ただし血液型も、誰のものかも不明。
その夜、署に戻ると、さらに状況を揺さぶる通報が入る。
「被害者の大石が、意識を取り戻したそうです」
聡美は急いで病院へ向かった。
病室で、大石は蒼白な顔をゆっくりと持ち上げた。
「犯人、見えた?」
聡美が問う。
大石は震える声で言った。
「……三崎じゃない。あいつは、俺を殴るなんてしない。恨まれても仕方ないけど、そんなやつじゃない」
「じゃあ誰が?」
大石は眉をひそめ、曖昧に首を振る。
「分からない……後ろから突然だったから……」
その言い方には、どこか“言いたくなさそうな気配”があった。
病室の外に出た佐野が小声で言う。
「証言が食い違ったな。ホームレスの老人の話と、被害者の言葉……どっちを取る?」
聡美は苦悩するでもなく、淡々と答えた。
「両方取るわ」
佐野が呆れたように笑う。
「相変わらずブレねえな、九重さん」
聡美は窓の外の夜景を見つめた。
──大石は嘘をついている。
そして、老人は真実を語っている。
その確信だけが、胸の奥で静かに燃えていた。