第3話 雨の影を追う
雨の夜にだけ現れる未解決事件。
捜査一課の会議室で、九重の“違和感”は、ただの勘からひとつの仮説へと変わっていく。
本編
午前十時。大宮市警察本部の捜査一課会議室には、まだコーヒーの香りが残っていた。
ホワイトボードの前に立つ宮内班長を囲むように、九重、佐野、未来、真壁が席に着いている。
「昨夜の件を含めて、ここ半年で“雨の夜”に発生した未解決事件は八件」
宮内が、地図に貼られた赤いマーカーを指でなぞる。
「発生場所は、この半径五百メートルの範囲に集中している」
「手口はバラバラなんですよね」
未来がメモを見ながら言う。
「暴行、転落、失踪……共通点が薄いわりに、場所だけは妙に近い」
「偶然にしては、出来すぎてる」
佐野が腕を組む。
「九重、お前の“違和感”ってやつを、そろそろ言葉にしてくれ」
九重は椅子から立ち上がり、ホワイトボードの前に進んだ。
「手口は違う。でも、痕跡の“消え方”が似ているの」
「雨で流れた、というには綺麗すぎる現場が多すぎるわ」
「誰かが、後から“消しに来てる”ってことか?」
佐野の問いに、九重は小さく頷く。
「雨の音と水を利用して、証拠を消すやり方。
……それが、ずっと続いている」
真壁が、おずおずと手を挙げた。
「あの……昨日の銀色のボタンなんですけど」
「三年前の資料の中に、よく似たものがありました。別件の、やっぱり未解決事件です」
「三年前?」
宮内が眉をひそめる。
「場所は?」
「倉庫街の近くです。昨夜の現場からも、歩いて行ける距離で……」
真壁の声がだんだん小さくなる。
「それと、もう一件。同じ型のボタンが写っている現場写真があって……」
未来が身を乗り出す。
「ちょっと待って。それって、別の事件の“証拠”がかぶってるってこと?」
「うん……偶然とは言いづらいと思います」
真壁は緊張した面持ちでモニターを操作し、事件地図に新たなポイントを追加した。
赤い印が、さらに倉庫街の周辺へと集まっていく。
会議室の空気が、目に見えない重さを帯びた。
「倉庫街……最近トラックの出入りが増えたって、聞き込みで出てた場所だよね」
未来が、自分のノートをめくりながら言う。
「雨の夜に限って、遅い時間まで照明がついてるって証言もあった」
宮内は静かに腕を組む。
「──つまり、こういうことか」
「“雨の夜にだけ動く何か”が、この一帯に潜んでいる。
事件はバラバラじゃない。同じ“影”が背後にいる可能性が高い」
九重は、ボードの前で一歩下がり、全体を見渡した。
「雨の音に紛れて、人を傷つける者がいる」
「そして、終わらせる気がない。──繰り返す気でいる」
真壁が、言葉を選びながら口を開く。
「じゃあ……今夜も、何かが起きるかもしれない、ってことですか?」
九重は彼の方を見た。
「可能性は高いわ」
「だったら――」
未来が椅子から立ち上がる。
「“雨の夜”に、こっちから会いに行こうよ。その“影”にさ」
宮内は小さく息を吐き、決断するように頷いた。
「……よし。九重班、今夜は倉庫街周辺の張り込みだ」
「ただし、相手の正体が何かまだ分からん。最大限の警戒で行くぞ」
会議が終わり、椅子が引かれる音が重なる。
窓の外の空は、今にも泣き出しそうな灰色だった。
廊下に出たところで、佐野が九重に並ぶ。
「お前の“違和感”に、また付き合うことになりそうだな」
「悪い?」
「いいや。慣れてる」
九重は、廊下の先にある窓の外へ目をやった。
ガラスに、ぽつり、と最初の雨粒が当たる。
「……今夜、“影”はきっと動く」
その呟きは、雨の始まりを告げる合図のように静かだった。